巷には「写真はこうあるべきだ」という意見もあるようだ。
「手を加えたものは写真ではない」「撮って出しでなければいけない」という声もしばしば聞く。
また、コンクールに応募の規定にも手を加えたものは不可となっているのも見受けられる。
私は、それに息苦しさを感じる。
写真とは本来、もっと自由なものではなかっただろうか。
デジタルカメラが普及し、表現の幅は、フィルム時代と比べて格段に広がっている。
機材も発達し撮影の幅も広がったうえ、撮影後はRAW現像によって色や明るさなどを自在に調整できるようになった。
思い起こせばフィルム時代にも写真家たちはさまざまな工夫を凝らしていた。
フィルターを使い、現像を変え、粒子を荒らし、ときにはハイキーやローキーといった手法で独自の表現を追求していた。
そう考えると、今のデジタル処理もまた表現の手段のひとつに過ぎないように思える。違うのは方法だけで、写真に込める思いは昔も今も変わらないのではないだろうか。
写真の世界が広がるのは、誰かが決めた枠の中ではなく、その枠を少しだけ越えようとする人達がいるからだと思う。
写真の魅力は表現の探求だけにあるのではない。
何も手を加えない写真にも魅力がある。
ありのままを記録することも写真の大切な役割といえる。
家族を撮る人がいる。旅の記録を残す人がいる。目に見えない心の風景を一枚に託そうとする人もいる。それぞれに写真との向き合い方があり、それぞれに楽しみ方がある。
家族のために、友人のために、あるいは忘れたくない一瞬を残すために誰かがシャッターを切っている。
私は「写真はこうあるべき」という言葉より、「こんな写真もある」という言葉の方が好きだ。
最近のSNSを眺めながら、そんなことを考えていた。

